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公開講演会「終戦から70年 ドラマ『カーネーション』に見る私たちの過去・現在そして未来~脚本家・渡辺あや氏をお迎えして」覚え書き(2015年8月27日)

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2015年8月27日(木)に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科が終戦70年特別企画として開催した公開講演会「終戦から70年 ドラマ『カーネーション』に見る私たちの過去・現在そして未来~脚本家・渡辺あや氏をお迎えして」の覚え書きです。

このような貴重な講演会を企画してくださったことに感謝します。

発言の趣旨は外していないと思いますが、言葉や言い回しは実際に話されたものと違うところがあります。講演会の全てを記録できていません。

司会は、長 有紀枝さん(立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授)。この企画の発案者の方です。
会場の大きな教室に300人以上は集まっていたのではないかと思います。
最初に「カーネーション」の総集編の一部(戦争を描いた部分)が上映され、その後、対談の形式でお話が始まりました。


(長 有紀枝さん)
夏休み中の大学にどれだけの人が来ていただけるか心配していたら、渡辺さん「数少ないのは慣れてますから」と(笑)

渡辺あやさん)
たくさんの方に来ていただいて。
カーネーション」のプロデューサーやディレクターが今日見に来たいと言っていると聞いたが、緊張するので、メール読んでないふりして来てしまった。


カーネーション」を書いた経緯

(渡辺さん)
小篠綾子さんは大正末期から平成まで生きた人。その中には戦争もある。何年か前から、脚本家を続けている限り「戦争」を書いてくれという依頼はいつか来るだろう、自分に出来るか、という課題があった。

自分が知らない時代。経験した人がまだ生きている。それは作家として高いハードル。そういう依頼は来なければいいなと思っていた。

その街のこども」のときも嫌な依頼が来てしまったと思ったが、書いたことで大きな階段を1つ上がった気がした。それまでは実際に経験した人からの反響が怖かった。わかってない、と怒られると。

「その街の子ども」のあとは、怒られるだけで済むならやったほうがいいという気持ちになった。

長いドラマの中の一部で「戦争」という時期を描ける朝ドラならではの作り方が出来ると。やってみたい気持ちが起こった。

私たちが受けてきた平和教育は経験された人の話を聞いたりすること。しかしその人を知らないと、大変だったとは思うが、その悲しみを自分のこととして感じることはなかった。「カーネーション」では、亡くなる人のそれまでのこと、良いこと悪いこと含めてこんな人だったと時間をかけて描けるのがよかった。


8月15日の描写について

(渡辺さん)
プロットを書かないのであまり考えた末というわけではない。「カーネーション」はモデルがいるので、第何週なら何歳頃とか何があったと史実的なことだけ教えてもらい、あとは自分で組み立てた。

以前、娘に「お母さんが子どもの頃はもう戦争終わってたの?」と聞かれたことが印象的で、現在の人が過去を振り返るとき、過去はぺっちゃんこだと思った。人生経験が少ない若い人、過去の出来事を知らない人には、過去はぺっちゃんこに見えている。NHKのドキュメンタリーなどでしか知らない、一面的な見え方。

長い時間をかけられるドラマなのだから、戦争に抵抗がなかった人たち、戦争に行くのは男らしくてかっこいいと思っていた人たちが、二度と戦争はダメだと言うようになったプロセスを描く。

日常の中の戦争が生々しく伝わることが大事。こう感じてもらおうとは考えずに、大事な人が亡くなっていくことを、糸子に、見ている人に、切実に感じてもらえるようにドラマの中で体験してもらった。

そういう状況で、暑い、寝られない、朦朧としてくる、そこで「戦争終わりました」と言われたら、ああいう感じになるんじゃないかと。


最終回の奈津について

(渡辺さん)
後頭部。白髪で短く刈った髪で、男性か女性かも分からないような。それは私たちが実生活でも見慣れたもの。

でもその頭にどれだけの人生の記憶が詰まっているのか考えたことはなかった。でも考えたら、おひとりお一人の中に戦争の時期があったんだと。ぺっちゃんこに見えていた過去を解凍しなければと思った。


(渡辺さん)
出征した勝さんもあのあと浮気が発覚する。人間の人生はシリアスにまとめようとしてもまとまらない。でもいろいろ含めて生活であり人生なので、そこは丸ごと描こうと。

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(今日のために北海道から来た人からの質問票が紹介される)
物語のために登場人物を都合よく動かさないところが好き。カーネーションで、この人物がこう動いてくれたらいいと思ったことはありますか。

(渡辺さん)
それを思わないようにしている。私は「キャラクターの尊厳」と呼んでいるが、改心したくない人はしたくないんだろうと。悪い人のままドラマの中で去っていくことになっても、そこは大事にする。

 

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(渡辺さん)
ドラマの意義。朝ドラでしかやれないことをやりたいと。ドキュメンタリーや報道では取り上げられないところを描きたい。
勘助が死んでかなり時間が経ったあと、母親(玉枝)がドキュメンタリーで日本軍がやったことを見てしまう。そういう番組が悪いわけではないが、同様に傷ついた母親も多くいただろう。そのことをそのまま書きたかった。

(長さん)
「あの子がやったんやな」というセリフは印象的だったが、反響は?

(渡辺さん)
それは怖いくらい来た(笑)。ああいう母親の声を私たちは知らなかったし知ろうとしなかった。そのことを自分にわからせたかった。

(長さん)
カーネーション」はミャンマーでも放送されている。以前は海外で放送される朝ドラは「おしん」だった。

(渡辺さん)
豊かになったということだと思う。どういうドラマが見られるかは、見ている人たちがどういう自分を祝福されたいかが反映される。

貧困に耐えるしかないときは、その状況とかけ離れたものを見せられても共感できない。そのとき人が求めているものが反映されるのだと思う。


最近のデモなどをしている若者について

(渡辺さん)
自分の世代は、何か世の中に対して納得がいかないと思っていても、それをどう表現したらよいかというボイスを持っていない。

どういう言葉を、どういう声で伝えれば一番伝わるか鍛えていない。最近の若い人はそういう問題を軽く乗り越えている。


私のいとこが娘を花火大会に連れて行ってくれたことがあった。それが8月頃で、娘が帰りのタクシーが嫌だったと言った。なぜかというと、ラジオがずっと原爆の話をしていてとても悲しい気持ちになったと。

そのとき驚いたのが、一緒だった私のいとことその友人はそのラジオの記憶が全然なかったこと。耳に入ってなかったと。私が同じ場所にいても、やはり聞こえてなかったんじゃないか。

私は義務教育で平和教育を受けてきたし、8月になればNHKが戦争の特集を放送してくれて、それで安心していて戦争の話も一つの風物詩としか受け取ってないなと。

ドキュメンタリー番組などの表現も、音楽、構成、ナレーションが定型になっていて、これが繰り返されたらもっと「伝わらない」ということが起こっていくんじゃないかという危機感を持った。

(長さん)
風物詩にしないようにというのはまさに今回の企画にも通じていて、渡辺さんにいつか話をうかがいたいと思いながら、戦後70年を迎えてしまった。渡辺さんは講演もあまりやらないと聞いたが、ダメならダメで断ってもらわないと私は先に進めないと思い、無いつてをたどって手紙を送った。

(渡辺さん)
長先生が立派な方なので、経歴書を読んだときに「この人の言うことは聞くしかない」と(笑)。私は「お偉いさん」には動じないけど「立派な人」の言うことは聞くしかないと思ってしまうので(笑)。

なぜ講演や脚本以外の文章を書かないかといえば、脚本を書くときの材料は汚いまま置いておかないと役に立たないから。

講演で話す言葉は、伝わらないといけないのできれいに磨いてパッケージする。そうすると置いておいたはずの材料が単純化されてしまう。人前に出すピカピカしたものになってしまう。これは脚本を書くときには役に立たない。

「インサイドヘッド」という映画を見たとき、頭の中の感情であるヨロコビちゃんとカナシミちゃんが迷子になって、元の場所に戻るのに「考え」という電車に乗るという場面があった。そこには「入ると危険」という部屋がある。

何が危険かというと、そこに入ると「記号」になってしまう。でも「記号」にならないと「考え」の電車に乗れない。これが私には腑に落ちた。

材料が「記号」になってしまうと脚本を書くときに役に立たなくなってしまう。


脚本家になったきっかけ

(渡辺さん)
2歳まで子どもを育てていたとき、外にも出ず田舎の狭い人間関係の中で暮らしていたらあまりにもつまらなくて自分で物語を作った。

セリフだけを書いていったら脚本のようなものになった。出来たらこれを映画やドラマにしないといけないと強迫観念にかられ、それでプロを目指した。


カーネーション」執筆時におきた東日本大震災の影響について

(渡辺さん)
あったと思うが、なるべく「ない」と思って書こうと思った。

第3週目を書き終わってテレビを点けたらニュースをやっていた。これだけの出来事を踏まえて書いたほうがいいのか、とらわれずに書いたほうがいいのか。結論はとらわれずに書こうと。

そのほうが力になれるんじゃないか。普遍的に、見た人が元気になれるものを書いているはずなので、そこを信じようと。


カーネーション」を書く前と書いた後で変化は

(渡辺さん)
ないと思う。一日も早く忘れたいと毎回思う。頭、身体、すべてを使って打ち込むので、そちらに引き込まれそうになるので忘れたい。

カーネーション」も(放送以来?)一度も見ていない。今回のために総集編を見直して、尾野真千子すごいなと(笑)。

「火の魚」という短い作品も一緒にやったが、そのときは幸薄い役が多かったのでそういう人かと思ったら違った。

打ち上げでボス猿の真似をやってくれたときにドスが効いた声を出していて、「極妻」のようなものも出来ると思った。

尾野真千子がすごいのは現場を守り抜いたこと。場は作品に出てしまう。現場の人がどんな気持ちでやっていたかは出てしまう。


カーネーション」の制作者の話で、渡辺さんは登場人物に自己投影しないというのがあった。その場合どうやって書くのか。

(渡辺さん)
自分が好きになれる人を見たいというのが一番基本的なモチベーション。良いところも悪いところも含めた好きな人、好きな関係性から一瞬浮かび上がる尊いものにたどり着きたいと思って書いている。


講演会の最後に上映する、渡辺さんが選んだ「カーネーション」のある一話について

(渡辺さん)
この回を書いたときに、一番私たちの現在につながっていると感じた。

小さい女の子が出てくるが、終戦で5歳としたら今75歳ぐらい。この人の戦後の歩みは、私が全然見てこなかった景色を見てきたんだなと。

今私が生きていて、ひどい事件が起きたりするが、その事と戦争があったことを結びつけて考えたことは無かったが、はじめてこのときに、街はきれいになったりしたがこれだけの大きな出来事は今に繋がっているし影を落としているんじゃないかと考えた。

この回を書いてはじめて気づいたことで、お伝えしたいと思った。

(長さん)
このやりとりをメールでしたときの「こんな日から70年が今の日本だと思うと、私たちが享受している豊かさと同時に抱えている闇の正体が少し分かる気がした」という渡辺さんの言葉が印象的。

(渡辺さん)
この国に生まれた表現者として今年は例年以上に、これからどう表現していくのかと考えさせられた年だった。

そのときに一番大事だと思ったのが、平和な国であることをもっと謳歌すること。それに胡坐をかくことではなく、だからこそ出来ること、受けられる恩恵、を大事にしていくこと。

すばらしい映画、ドラマ、伝わる作品には共通点がある。それは、その映画を作れるということであったり、そのテーマを本当に謳歌していること。

どんなに陰惨な事件を扱った作品でも、その場を謳歌して、そのテーマが与えられたことに対して誠心誠意やりつくす。そういう作品は、作る喜びや、豊かなものが伝わってくる。

それが無いと表面的なメッセージが立派でも伝わってこない。そういうことをベースに表現していきたいと思っている。

(長さん)
今後はどんな作品を。

(渡辺さん)
カーネーション」も他の作品もそうだが、自分に準備ができたときに出会えているので、ひたすら真面目にやっていこうと思っている。

(長さん)
今回の企画についていろいろテーマを提案したが、この「カーネーションに見る私たちの過去・現在そして未来」というテーマを選んでくださった。そのテーマにつながる回をこれから上映します。

(渡辺さん)
作品を見たあとでいろいろ言うのは控えたいと思いますので、ここで失礼します。

 

※最後にカーネーションの第79回「明るい未来」を上映して講演会は終了しました。