題無しじゃ!

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「UNITY-柘植伊佐夫の世界展」覚え書き その2 トークセッション(2015年3月14日)

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3月14日(土)に伊那市伊那図書館で行われた「UNITY-柘植伊佐夫の世界展」トークセッションの覚え書きです。

内容は大きく外していないと思いますが、言葉や言い回しは実際に話されたものと違うところが多いです。トークセッションの全てを記録できていません。また、<>の項目は整理のために勝手に付けたもので、こういう項目を挙げてトークが進んだわけではありません。

進行役の伊那図書館・平賀研也館長に、柘植さんと地元の方々(経営者、建築家、酒造家、他図書館の司書など)との対話というねらいがあったようで、仕事の仕方やマネジメント寄りの話題が多かったように思います。

公式facebookページ「UNITY -柘植伊佐夫の世界展」や、「伊那谷ねっと ウィークリーニュースダイジェスト3月14日~3月20日」の動画を見るとトークセッションの様子がわかります。

<この企画について>

この企画は、facebookで繋がった伊那図書館の平賀研也館長に、柘植伊佐夫さんが自分の油絵を図書館に寄贈したいと申し出たことがきっかけ。平賀館長は柘植さんの著書「龍馬デザイン。」を読んで、経営書、マネジメントについての本だと感じていて、柘植さんのバックボーンを知りたいと思っていたと。

(平賀館長)
柘植さんの仕事は作品という結果もあるが、プロセスが仕事という面があるからそれをどう展示するか悩ましかった。でも、そのプロセスの部分、どう発想するのか、どう人に働きかけるのか、を見せられたら面白いと思ったのが企画した理由の一つ。

<UNITYというタイトルについて>

(平賀館長)
企画の過程で「展示のタイトルはどうしますか。何が一番大事ですか」と聞いたら「UNITY」だと。
(柘植さん)
自分自身のコンセプト、中心軸を考えたことがあった。人物デザインはセクションに分かれてるものを統合する役割。これは性格が仕事を選んだのか、仕事をしてそうなったのか分からないがUNITYという意識は昔からあった。

<柘植さんの経歴や作品>

(柘植さん)
高校を出て母の知り合いの地元の美容室に就職。それまで美容室という存在も知らなかった。

その美容室は、ヴィダル・サスーンが流行し始めのころに、それを取り入れていたところだった。男性の美容師もいなかったのでかわいがってもらった。3年勤めたが、その間に技術者になれたので、かなり勉強させてもらった。

東京に出たいという理由で、業界紙で見た「モッズ・ヘア」に応募。その頃は、ヴィダル・サスーン=イギリス派、モッズ・ヘア=フランス派、のように言われていた。僕はイギリス派だったわけで、フランス派がどんなものか知らなかったけど、直感的に面白そうだと。出るのが目的だったので「モッズ・ヘア」に入ってはじめてヘアメイクという仕事を知ったほど。

美容師はお客さんと1対1だからマネジメント力より技術力。ヘアメイクアーティストになって、ファッションショーになるとモデルさんが何十人かいる。人を動かして仕事をする立場になりマネジメント力が訓練された。

手塚真監督の「白痴(1999)」でヘアメイク監督。はじめての映画の仕事。日本映画界が斜陽の時代を経て、その頃は古い世代と新しい世代が一緒にやれる土壌ができた時期。

でもヘアメイクは古い日本映画界では地位が低かった。撮影や照明などの監督職を見て、これはまずい、「監督」という立ち位置にならないと負けると。だから「ヘアメイク監督」という名前にしてもらった。

次の「ビューティーディレクター」は「ヘアメイク監督」と同じようなことで、ビューティーという言葉で一元化した。名称にはこだわった。テーゼにすることで職掌が規定される。相手に対して自分の範囲、予算、権力を決定づける。

「ビューティーディレクター」という言葉は、庵野秀明監督の「キューティーハニー(2004)」からだったので「キューティー」なら「ビューティー」に変えたほうがいいだろうと(笑)。

「ビューティーディレクター」の言葉自体は、雑誌のイタリアン・ヴォーグにならった。

「ビューティー」にすることで「ヘアメイク」より広い領域に入り始めたが「衣裳」まで広げるとややこしくなるので範囲はヘアメイクにしていた。

ただ三池崇史監督などはそんなややこしいこと気にしないので衣裳のことまで聞いてきた(笑)。

おくりびと(2008)」の滝田洋二郎監督にも、衣裳の方が不在のときには衣裳のことも聞かれた。もう視点は(ヘアメイクより広がって)シチュエーションだったし、いつも現場にいたから。一緒にいるってことは大事。

ゲゲゲの鬼太郎(2007)」ビューティーディレクター
ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌(2008)」キャラクター監修
人間ならヘアメイク、衣裳部など、妖怪なら特殊造形など、と分かれていた。半人間はどうするんだと。担当する範囲、予算、いろいろと問題がおこった。

1作目は人間担当。その時この体制ではどうしようもないと感じた。2作目で統括的な仕事を依頼された。最初は固辞。あちこちに頭を下げる役回りになることは確実だから(笑)。でも引き受けて、2作目からキャラクター全般担当に。

NHK大河ドラマ龍馬伝(2010)」人物デザイン監修
福山雅治さんから声がかかった。現場が落ち着くまででいいからと言われたが、「罠に決まってる、それで済むはずがない」と思った(笑)。固辞。僕の何かの始まりは固辞から(笑)。腹をくくるための時間が要る。ギリギリまで考えるタイプ。

人物デザインやキャラクター監修というような仕事の重要性は「ゲゲゲの鬼太郎」の前から思っていた。ヘアメイクが参加するのは衣裳が決まったあとが多かった。すると衣裳の方がヘアメイクに干渉する。そこがフラットにならないかと。そこはモノを作る人の自由と権利だろうと。セクショナリズムが徹底してるならセクショナリズムでいいけど横から言われるのは疑問だった。コンセプト>シチュエーション>セクションとすると、コンセプトを決めるのは衣裳家じゃない。

<展示会場の設営の話>

会場は内部が梱包材などに使ういわゆるプチプチに覆われているとてもユニークな空間でした。床にも敷き詰められていて、靴を脱いで入場するようになっていました。

(平賀館長)
この展示は実質24時間ぐらいで柘植さん自ら行った。準備に来るには柘植さんは忙しいから、最初はこちらで展示しようとした。でも途中でこの事務所っぽい空間をなんとかしたいという話に。柘植さんからプチプチで覆うという案が出て、えっ、プチプチ!?と。でもやってみたら良かった。今回の企画でも何度か、柘植さんが発想をポーンと飛ばすのを見た。
(柘植さん)
プチプチについては、もともとプチプチが好きだった(笑)。ブルーシートという案も出たけど、ブルーシートを使うとしたらもっとコンセプチュアルに、もっとディープになる。
(平賀館長)
私は外から来た人間で、私から見ると伊那の空は広く抜けていて影はあまり印象にないが、著書に、伊那について「光と影」と書いている。プチプチの話につなげれば、プチプチも光の乱反射が面白い。
(柘植さん)
段丘地帯で坂が多い。木も多い。木漏れ日など光が面白い。

環境とか経験はリンクして記憶される。一つひとつ理由づけできないけれど、自分が作り出した空間はそういうことに正直。今回で言えば、この制約のなかで表現するには、たまたまプチプチが面白いと。

<来場者との対話(質疑応答)>

(来場者)
柘植さんの話を聞くと、らせんを描いて上がっているように感じる。上がっていくけどスムーズというわけではない。「変化する」ことにポジティブだと。
(柘植さん)
とてもポジティブ。仕事をしていて自分が一番興奮できるのは「新人」か「素人」の状態であること。キャリアを重ねて器が飽和すると興奮度が下がる。だから、作っては壊して領域外に出て行くのかも知れない。
(来場者)※知人の方?
美容室をやめた時に驚いて、モッズヘアでまた出てきた時に驚いた。そういう直感的、先見的なものはどういう判断で出てくるのか。
(柘植さん)
心にゴミが付いている状態がある。ゴミが付いてない状態のほうが直感的だと思う。切羽詰っているときはゴミどころじゃないから自然ときれいな状態になっていて、直感的に入ってくる気がする。
(来場者)
先日の講演会も聞かせていただいた。モッズヘアでは練習に明け暮れたとお聞きした。ヘアについては練習、経験で積み上げた。そのほかの衣裳など専門外だったことは後から勉強していったのか、準備されていたのか。
(柘植さん)
専門家でなくてもコンセプターにはなれる。人物デザインという名前だけど「コンセプター」だと思っている。どういうことをやるか決めて専門家に任せる。ただしその専門家が自分に合うか合わないかは大事。あとは「聞く」。ポジションとしては僕が上だから、聞く立場になったほうが相手も出してくれる。出てきたものに対して「こういうのもあるんじゃないか」と言うともっと出てきたりする。専門的な部分は任せるが、その人が気づいてない部分というのは、もう宇宙的なレベルだから。

着物は「龍馬伝」が大きかった。着物についてはオーダーされてから醸造されたところがある。1年半も見ていると分かってくる。そのあとに「平清盛」もやって、平安時代の装束は難しかったが、わかってしまうようになった。
(来場者)
今の柘植さんなら皆言うことを聞くと思うが、外国人だったり初めての人だと伝わらない人もいると思うがどうする?
(柘植さん)
人間力です(笑)。一緒にやってると言葉ではなく波動で伝わるというのはある。無駄に思えるやりとりも相手は見ている。そんなことで信用が醸造される。それが人間力。それが無いと統括の仕事はできない。それは日本とか外国とか関係ない。
(来場者)
ブレーンストーミング的な段階でのコミュニケーションは。
(柘植さん)
プランニングの段階は大事なので打ち合わせの頻度は多い。「伝わったな」というのは分かるので、そうしたら任せる。放っておくが、自分の「リスク時間」があって、そろそろ来ないとまずいんじゃないの、となると動く。

本当はロードマップ的にしないといけないけど、マネジメントを杓子定規にやらなくてはいけないポジションに身を置かないようにしている。助監督など、ロードマップに沿わせてくれる役割の人がいるから、自分は直感的でいられるという面もある。
(平賀館長)
プロジェクトにそれぞれコンセプトというものがあるが、そこで不可欠なものは。
(柘植さん)
お客さまが喜ぶこと。(平賀館長・「美しい」とかではなく?)「美しい」より高い位置に「人が喜ぶ」ということがある。マーチャンダイズより人間愛に近いもの。「これを見たら喜んでくれるかな」というエモーショナルなもの。
(平賀館長)
コンセプトというか、こういうワクワクすることをやろうと伝える中で奇跡的なことは起こる?
(柘植さん)
仕事の時はすごく準備する。準備して準備して、もう大丈夫というところまでやって、そのまま計算どおりの時と、そこからこぼれ落ちる、あふれる時がある。守破離のようなことが、精神的にも、状況的にも起こる場合がある。それを起こすために準備をする。
(来場者)
いろいろな作品をやられていますが、最初に浮かぶ感覚は、絵ですか、言葉ですか、何ですか。
(柘植さん)
脚本を読むと瞬間に映像が現れる。人間だけではなく完全に世界として出てくる。静止画ではなくムービー。
ただ美術とかロケーションになると監督や美術監督の領域に入るので、好きな人と仕事するのが大事。僕は好きな人としか仕事しないポリシー。それは想像しているものが近いから。「やっぱりそう思ってた?」というのは多い。
(来場者)
先ほどの心のゴミを落とすという話。
(柘植さん)
ゴミを落とすのに何かをガマンするタイプ。ガマンしてない状態は欲望のままなので、何かを設定する。仕事のビジョンはガマンしてはいけないので、日常生活など違うところでガマンする。
(来場者)※居酒屋さん?
昨夜、柘植さんが酔ったおじさんにからまれていた。「髪切る金ないのか」とか言ってきて(笑)。でも「わかりますか!」と受け入れて楽しんでいる。人間力という話があったがそういうことかなと。
(柘植さん)
とても好奇心が強いということ。昨日のおじさんの話も、嫌な思いはしてないので、その人の背景を知りたいと思ってしまう。邪気がないことが分かれば「悪」は存在しないから、こちらから開く。そうすれば相手は閉じるわけにいかない。こちらが開いた分だけ相手も開く。好奇心や興味が無いところに愛情はない。それが人間力かどうかわからないけど。
(来場者)
柘植さんの仕事は一代限りで良いのか。継承について。
(柘植さん)
一代でいいかな。というか、どちらでもいいけれど、これはとても継承しにくい仕事。本当に範囲が多岐に渡る。衣裳にしても現代、時代劇とある。着物に限っても時代で違う。ヘアメイクも多種多様。

人物デザインというのは人間力の領域が大きいので、知識ではなくもっと情操(上層?)から入らないとダメなのではないか。自分は叩き上げでやってきた。美容師で一般の人とのリアルな美の世界から、ヘアメイクでファンタジーな世界に入って、という順番を経てきた。そこには情操的なものが含まれていた。継承は手強いと思う。だから人物デザインの仕事は、継続性があってもいいと思うし、一代限りでもいい。

大学のようにカリキュラムでやるのは無理。師弟のような関係でないと継承はできない。「道」に近い。「道」にしたいわけじゃないけど(笑)。

(おわり)